前回の続きです。
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画像は上記リンク先から頂きました。
父と祖父に将棋のルールを教わったむとせは、早速2人に挑戦しました。その結果は、皆さんの予想通り連戦連敗です。おそらく20連敗以上です。当時の正確な数字は覚えていませんが、最低20回は連続して負けています。
普通の人ならばわかると思いますが、ルールを覚えたばかりの子供と大の大人が将棋を指した時に、子どもが勝てる訳がありません。こんなことは当然のことです。
他のゲーム、例えば、トランプのババ抜きでしたら、子供が偶然勝ってしまうこともあるでしょう。しかし、実力至上主義の将棋では、偶然の勝利はありえません。完全に実力世界の勝負ですから、たまたま勝つことはないのです。
新しいことに挑戦した時に、得てして人はその結果に大きく左右されます。それが勝負事であれば、負けが続くと心が痛んでそれをやめてしまいます。感受性の強い人ほどその傾向があるかもしれません。常人ならば、3~5連敗程度で将棋をやめてしまうかもしれません。
ところが、管理人むとせの場合は、心が全く痛みませんでした。負けて悔しいという感情が全く芽生えなかったのです。
羨ましいと思った方もいるかもしれませんが、これは恐ろしいほどマイナスの将棋の才能・素質です。なぜなら、将棋上達の上で「悔しい!!!」という感情は、絶対に不可欠なものだからです。
人間社会において、<結果のはっきりする物事、勝負事>と<悔しさや屈辱をバネにして上達すること>には、不可分な関係があります。
このバネを縮まらせる期間がありませんと、将棋などの勝負事では上達しにくいのです。負けが続く停滞期間(プラトー)は、雌伏の期間です。雌伏とは、実力を養いながら活躍の機会をじっと待つことです。この悔しさや屈辱の期間を乗り越えませんと、将棋は上達しないのです。
時々、将棋大会で小学生が泣いていますが、あれは素晴らしく恵まれた才能です。あの悔しくて泣くという行為は、その人にとっての天性の才能です。凡人の子供は泣きません(ごめんなさい)。ですから、皆さんのお子さんが何かに取り組んだ時にそういう感情をむき出しにしましたら、優しく見守ってあげて下さい。うまく育ててあげれば、将来大成する可能性があります。
むとせの場合、この「負けて悔しい」という感情がほとんど起きませんでした。今現在もそうなのですが、過去の人生の中でこういう感情が起きたことは、99.99%ありません。これは、将棋上達にとって、多分マイナスの素質・才能です。
しかし、物事には表裏一体の二面性があります。負けて悔しくないということは、負け続けても平気ということです。ですから、何回挑戦してもへこたれないということになります。
このことは、将棋環境に恵まれなかったむとせには、プラスに働きました。要するに、練習相手に恵まれせんでしたから、この性格や気質はこの場合はプラスに働いたのです。
<残念ながら、将棋の才能・素質ではないと思います。>
ある意味鈍いのかしれませんが、不思議なことに、昔から達観していたところがあります。
「どういう結果であれ、仕方がない」と。
子供の頃から、結果をすぐに受け入れてしまうところがありまして、立ち直りが異常に早かったです。
<上で99.99%と書きましたが、後ほどその残りの0.01%でとても悔しい思いをすることになります。それに関しては別の機会に書きます。>
以下、簡単にまとめておきます。
物事の勝負で負けるということは、人によってはつらく悲しい経験かもしれません。しかし、将棋というゲームでは別に命を取られる訳でもありません。アマチュア将棋ファンの場合、生活がかかっている訳でもありません。
そう考えれば、それ程心に負担になるものではありません。ですから、将棋も含めて勝ち負けのはっきりすることに取り組みましたら、結果に拘らないことです。
人生、50勝50敗が普通です。死ぬまでに五分五分の成績ならば、勝ち組です。最初に50回負ければいずれ50回勝てるようになります。将棋で500回負けても他に良いことがたくさんあるかもしれません。たかが将棋されど将棋です。アマチュア将棋ファンの場合、気楽に行きましょう。
将棋で負けて悔しくない人は、上記のむとせのように何回も何回も実戦で好敵手や強い上手(うわて)に挑戦しましょう。負けることに鈍感なことも、別の観点から見れば才能です。決して将棋の才能ではないです。
もし将棋に負けて悔しい感情が起き、悔しくて悔しく夜も眠れない、あるいは何日も頭から離れないようでしたら、そういう自分のことを<天才>と思いましょう。そして、その悔しさを長期間蓄積することです。その蓄積をバネにして努力を続ければ、いずれ必ず将棋で勝てるようになります。
20連敗や50連敗しましたら、これは上記の<雌伏の期間>であると大いに喜びましょう。この喜びがわかれば、読者の皆さんの将棋上達はすぐそこにあります。
人間社会の勝負事は、大体そういう風にできています。
なお、上記の用語、<勝負事>を誤解しないようにして下さい。この中にギャンブルは含まれません。運の要素が大きいギャンブルや賭け事には全く当てはまりません。あくまでも実力で勝てる世界での話です。
<短時間で急いで書きましたので、思い描いたことをうまくまとめることができませんでした。あとで書き直すかもしれません。2014年6月22日(日)午後8時40分>